三陽商会の歩み
History of Sanyo

企業の歴史
1943-1949年
砥石商から出発、戦後にコート第一号を発売

三陽商会の歴史は、戦時中の1943年(昭和18年)5月に創業者・吉原信之が東京に設立、砥石商から始まりました。
戦後、物資が少ない中で入手可能な原材料から様々なものを手掛け、事業を模索。1946年に防空暗幕を用いて作った紳士用の黒いレインコートが三陽商会のコート第一号に。1947年、戦時中のパラシュート生地から着想を得て、絹羽二重に植物油を塗って作ったオイルシルクの婦人用レインコートが大流行。1949年、戦後の大不況の中「レインコート製造販売」専業に転換し看板を掲げました。この看板により進駐軍の家族用レインコート1万着の受注が舞い込み、飛躍の契機となりました。



1950年代
レインコート専業から総合的なコートメーカーに前進

進駐軍用レインコート生産をきっかけに、その売場を設けていた百貨店や素材メーカーとの関係を築き、1950年には業界初ともいわれる専属デザイナーを起用。デザイン性のあるレインコートを次々に発表し本格生産を開始。地味だったレインコートをおしゃれ着に変えていきました。1951年に「サンヨーレインコート」を商標登録。1953年、晴雨兼用の「ダスターコート」を発売し、1955年に全国的に大流行、通年販売商品を展開する総合的なコートメーカーへと前進しました。また、欧米映画からファッショントレンドが生まれていたシネモードに着目し、映画「愛情物語」や「三月生れ」の主演女優が着たコートをイメージしてつくった「赤いレインコート」や「ササールコート」が大ヒットしました。

のキャッチコピーが書かれた販促物


1960年代
技術部門を設置、工場も設立し生産体制強化

(写真は茨城県にあった当時の本社)
高度経済成長の1960年代、三陽商会ではコートの多品種展開と大量生産が進む中でも品質の安定化を図るべく、1963年に「商品研究室」、ついで「技術研究室」「縫製研究室」と技術部門を設置。社内で一気通貫できる生産体制を確立させました。1969年には海外名門ブランドとの契約を機に、生産の核となる工場「サンヨーソーイング」を設立し、さらに品質と効率を向上。同時に1960年代後半より婦人用既成服ブランドの発売を皮切りに、コートメーカーから総合アパレルメーカーへと歩みはじめました。1969年には現在の本社所在地である四ツ谷に新社屋を構えます。



1970年代
コートメーカーから総合アパレルメーカーに

1970年代には「バーバリー」「ザ・スコッチハウス」「イブ・サンローラン」「ピエール・カルダン」をはじめとした海外ブランドとの提携を相次いで行い国内で展開。海外プレタポルテブランドの導入にもチャレンジし洋服を美しく立体的につくり上げる技術を体得。同時に「ボワール」「バンベール」「ミスター・サンヨー」といった自社ブランドも次々に開発し市場展開を強化。1971年に東証2部上場を果たし、社員数千人を超える企業として社是「真・善・美」を成文化。ものづくりを表わす言葉として企業根幹にあり続け社員の道標となる。1977年に東証1部に上場。1979年、コート部門と非コート部門の売上が逆転。名実ともに総合アパレルメーカーとしての基盤を確立させました。

(1971年7月1日付「繊研新聞」)


1980年代
海外進出に着手

1980年代は海外事業推進を図ります。1981年、ニューヨークに現地法人を設立し海外進出を開始。米国での本格的な販売拠点を得たことで、1987年にはニューヨーク州に日本のアパレルでは初となるアメリカでの自社工場「サンヨーソーイング・アメリカ(SSA)」を設立。紙のパターンでやりとりをしていた時代に、パターンの電送を世界で初めて行ったのがSSAと四ツ谷本社間。1988年にはミラノに現地法人を設立。ファッションの中心である都市で情報を吸収し、ものづくりに反映させていきました。国内では自社・海外ブランドの発売と同時に、物流の効率化などの整備を進めた時代です。



1990年代
ブランド戦略を推進

1990年代、ブランド事業ではポール・スチュアート社と契約し、1991年に日本における「ポール・スチュアート」ブランドの企画・販売を開始。1994年「エヴェックス バイ クリツィア」、1996年、世界に通用する国際ブランドを目指したブランド「エポカ」を立ち上げ、1997年には三陽商会のセレクトショップ1号店となる「エポカ ザ ショップ」を東京・青山にオープン。ブランド戦略を進めます。生産面では海外生産を本格的に推進。上海やバンコクなどの生産拠点を拡大し、国内・海外生産の戦略的なフォーメーションづくりを進めました。

「エポカ ザ ショップ」1997年オープン


2000年代
ブランド数を拡大、Eコマース事業の開始

2000年代、グローバリゼーション・情報化といった変化の中で、2001年に5カ年の中期経営計画を策定。アパレル業界では中長期の経営計画を掲げる企業が少ない中、企業統治の姿勢を内外に発表しました。ブランド事業では、紳士靴ブランドの「三陽山長」、「トゥー ビー シック」「アマカ」「エポカ ウォモ」「マッキントッシュ フィロソフィー」と相次いでブランドを立ち上げます。2004年には新時代のセレクトショップ「ラブレス」1号店を出店。2008年9月、直営オンラインストア「サンヨー・アイストア」を立ち上げ、Eコマース事業をスタート。同年、千葉県市川市に物流の拠点として「東日本商品センター」を開設。物流における全ての業務を1ヵ所に集約するなど、事業基盤を整えました。



2010年-現在
企業タグライン策定

ファッションの多様化が進む中、生活者から共感・共鳴され、愛される企業になるために、設立70周年の2013年に、企業タグライン「TIMELESS WORK. ほんとうにいいものをつくろう。」を策定。この企業タグラインを象徴する製品として、"世代を超え、永く愛用していただけるもの"を目指した『100年コート』を発売しました。
ブランド事業では、2015年、基幹ブランド「マッキントッシュ ロンドン」「ブルーレーベル・クレストブリッジ」「ブラックレーベル・クレストブリッジ」をスタート。
2020年代にはSDGsの浸透やコロナ禍により価値観も変化する中、2020年にスペインのサステナブルファッションブランド「エコアルフ」の国内販売を開始。
今後も『ファッションを通じ、美しく豊かな生活文化を創造し、社会の発展に貢献します。』という企業理念のもと、事業を推進していきます。



企業ロゴの変遷
日本のアパレルメーカーで初めて自社商品に織りネームやタグをつけていた三陽商会は、
早い時期からコーポレートアイデンティティを意識していました。

初代ロゴ
初代ロゴ「Sanyo Coat」の文字は、織りネーム、企業ロゴとして用いており「コートの三陽」という企業アイデンティティを広めました。

2代目(1971年)
1971年、総合アパレル化という次のベクトルに合わせてロゴマークを刷新。
「Fashion House Sanyo」と記します。

3代目(1971年後半~1984年)
社名の前につく音符のような「雨だれマーク」はSANYOのSをモチーフにしたものです。

4代目(1985年~現在)
1985年から使われている現在の企業ロゴは、21世紀に向けてハイセンス、ハイクオリティ、インターナショナルを目指す三陽商会をシンボライズしたものです。